みなさんこんにちは!
予定では今頃ドイツにいるはずが、いろいろありまして今もまだイタリアに滞在中のみっこです(✿˘艸˘✿)
このブログを見てくださる方はご存じかもしれませんが、わが家は6/1にイタリアからドイツへ引っ越しを予定していました。
しかし!
引っ越しはできず、6/3現在もイタリアにいます๐·°(৹˃ᗝ˂৹)°·๐
今日は誰の役にも立てない記事かもしれませんが、
イタリアを出国できなかった経緯
と
完全に路頭に迷ってしまった5人家族の行く末
を忘備録として残そうと思います( ˘͈ ᵕ ˘͈ )

目次
飛行機搭乗の3時間前に空港から連絡
私たちの当初の日程は、
【5/31】
ジェノバ→ローマ
(飛行機移動)
〜ローマで一泊〜
【6/1】
ローマ→フランクフルト
(飛行機移動)
という感じでした。
5/31、引っ越し業者に全ての荷物を引き渡し、最後に今までお世話になった家の掃除をしていた時、夫の携帯にジェノバ空港から電話が入りました。
要件は、
ドイツ側があなたたち家族を受け入れてくれるかわからない。
移動に必要な書類(夫のドイツでの仕事の契約書etc)をドイツ側に送らないといけないからそれらを持参して、できるだけ早く空港に来るように
とのことでした。
この時点で、
え?
出国当日の日にこんな電話をしてくるの?
おかしいな。
と思ったのですが、
- ローマのドイツ大使館にて、仕事の都合で家族がイタリアからドイツへ移動するのは大丈夫であるという確認
- 夫のドイツの職場からのinvitation letter(招待状)の取得
を事前にしていたので、あまり心配はせずに予定より早い時間に家族で空港に向かいました。
出発30分前にイタリアを出国できないことが判明
空港に着いてすぐに受付カウンターに向かうと、事前に私たちのことを把握していた担当の人が待っていました。
夫がその人に、ドイツの職場との契約書や招待状などの必要書類を渡すと、
それらの書類を今からドイツに送り、何も問題がないか返信を待ちます。
返信がくるのに大体20分くらいかかります。
とのことでした。
そして1時間後…
なんだかキリッとした、長身ですらっとした仕事ができそうな多分部長クラスであろう女性(以後、キャサリン)がスタスタと私たち家族のところへやって来て言いました。
ドイツ側から連絡がありました。
残念がなら、ご主人はドイツへ行けますが、他の家族は受け入れられないとのことです。
WHAT?!
この時点で、もう私は頭が真っ白になり、魂が頭から半分抜けかけていました。
しかし、これまでの荷作りの苦労、そして、イタリアにはもう戻る家がないという現実を冷静に見つめ直し、キャサリンにローマのドイツ大使館には確認を取っていること、そして夫の職場からは家族のinvitation letterももらっている旨をゆっくりと、できるだけ力強く伝えました。
しかしキャサリンは、
イタリア側はあなたたち家族がイタリアを発つ分には何も問題はない。
ただ、ドイツ側が、ご主人以外の家族は受け入れられないと言っているからどうしようもないの。
と…
ドイツ大使館の許可でも、夫のドイツの職場からの招待状が大事なのではなく、ドイツの入国審査機関の許可がなければダメだとのこと。
もうここからは、何を言っても状況は変わらないということを察知しました。
運の悪いことにその日は日曜だったので、夫は考えられるありとあらゆるドイツの機関に電話をかけましたが、すぐに対応してくれるところは見つかりませんでした。
キャサリンは、ドイツの海外へのコロナ規制は6月の3週目から変わること、そして私たち家族に、飛行機のチケットをその3週間後の日に変更したらどうかと提案してきました。
私たちが乗るはずだった飛行機が飛び立つ直前に、私たち家族はキャサリンの申し出を受け、飛行機の日程を3週間後に変更しました。
空港に向かう際にお世話になったタクシーに乗り、自宅へ戻る
行き場を失った私たち家族でしたが、夫は数時間前に引き払ったアパートの大家に電話をかけ、事情を説明しました。
幸い、イタリアのアパートは念のために6月いっぱい契約をしていて家賃も前もって支払っていたので、大家さんはアパートへ戻ってくることを快く承諾してくれました。
(送別の品までいただいていたので、戻ってきたときはだいぶ恥ずかしかったです;;)
ほぼ誰もいない空港内を走り回っていて全く状況を把握できていない(できるはずもない)5歳の長女と3歳の次女を連れ、タクシー乗り場に向かいました。
タクシー乗り場で待っていたTHE・イタリア人のタクシーのおっちゃんに行き先を伝えると、
「あれ?さっき送ってきたよね?」
と、おっちゃんが言うではありませんか。
よーくおっちゃんを見てみると、確かについ先ほど自宅のアパートから空港まで送ってくれたタクシーのおっちゃんだったのです。
ジェノバ、
狭すぎるぜ…
と思いながら、おっちゃんにドイツへ行けなかったことを伝え、またきた道を戻ってもらいました。
トホホ…
引っ越し荷物は無事にドイツへ到着
引っ越し荷物は翌日、私たちの到着時間とほぼ同じ時間にドイツの引っ越し先のアパートに到着する予定でした。
本来ならば、業者と夫と私で荷物をアパートへ搬入する予定でしたが、急きょ、夫のドイツの職場の同僚と、現地の日本人の方達に荷物の運び入れをお願いしました。
まだ会ったこともない方達に自分たちの荷物を運び入れてもらうことはとても申し訳ない気持ちでしたが、イタリアにいる私たちにはどうする手立てもなく、今回は現地の方達のご厚意に甘えてお願いしました。
イタリアを出国できず一番堪えたこと
1、生活に必要なものがほぼない
前記しましたが、もともと、
【5/31】
ジェノバ→ローマ
(飛行機移動)
〜ローマで一泊〜
【6/1】
ローマ→フランクフルト
(飛行機移動)
の日程だったので、ローマに一泊する際に必要な最低限の荷物(主に子供達の衣類)しか持ってきていませんでした。
子供3人を連れての移動なので、食料も、生活に必要なタオルなども全てホテルにあるからと、荷物は最低限に抑えていたのですが、逆にそれが仇(あだ)となりました。
大人ふたりだけなら、数日はあるものでなんとかやりくりできるのですが、小さい子供達が3人いるとそういうわけにはいきません。
私はイタリアを発つことができなかったショックから思考回路がほぼ停止の状態だったのですが、とりあえず近くのスーパーへ行って、まずは一日を過ごすのに必要な食材や生活用品だけを買って、イタリア出戻り初日をなんとか生き延びました。
2、家が散らかりだす
約4年間お世話になった家をピカピカに掃除し、当たり前ですが、何一つものが残っていない状態で大家さんにお返ししました。
しかし、これから最大3週間は住むかもしれないという状況の今、必要最低限のキッチン用品や生活用品は買い足さなければなりません。
何もなかった奇麗な家にまた、少しずつものが増え始め、さらにはピカピカにしたおうちが、3人のわんぱくキッズのおかげで目に見えて汚れつつかるこの現実。。。
仕方ないのですが、一生懸命引っ越しの荷作りをし、掃除をした私としてはこれは大変堪え難いことです(৹˃ᗝ˂৹)
ジェノバの日本人先輩ママ達の助けられながら送る日々
イタリアから出れないとわかって、すぐに信頼する日本人の先輩ママに連絡しました。
私たちの住むアパートまで、車でも1時間弱かかるところに住んでいる先輩ママですが、事情を説明するとすぐに夕飯や寝具やタオルなど、当座に必要なものをもってきてくれました。
気持ちも少し落ち着いたイタリア出戻り二日目、ジェノバの日本人ママさん達のグループチャットで私たちの今回の悲劇をお伝えしたところ、たくさんの日本人ママさん達が食料や子供達の衣服など、生活に必要なものをもってきてくれました。
こんなに甘えてもいいのかと思うくらい今は甘えさせてもらっているのですが、日本人ママさん達のサポートがなければ、今頃私たち家族は本当に路頭に迷っていたかもしれません…
ジェノバのママ友の皆さん、
グラッツェ!!
いつか必ず何らかの形でお返しできるようにしたいと思います!

今後の予定
6/1はドイツが祝日だったため、次の日の昨日、夫がドイツの職場の総務の人と電話ミーティングをしました。
職場としては、私たちが入国に必要な書類はなんでも準備できるとのことでしたが、果たしてそれでドイツの入国を100パーセント保証することはできないとのことでした
また同じようなことが起こってしまうことは避けたいので、ドイツの規制が緩和される6月の3週目以降に確実に渡航できるようにしようということになりました。
総務の担当の人いわく、この職場は新型コロナパンデミックの間、外国人を受け入れる際に、これまでこういった問題は一度もなかったため、大変びっくりしているとのことでした。
最後に
最初にドイツへ入国できないとわかったときは、ここ5年間で一番ショックを受け、数時間思考も止まり、言葉を発することもできないくらいにまで落ち込みました。
しかし数日が経って冷静になった今は、気持ちを入れ替えて、最後のイタリア滞在2週間をとにかくエンジョイすることに集中しようと決めました。
人生、
無意味なことは起きない!!
と信じています。
いつか今回の経験で、誰かのお役に立つことができればいいなと思います。
最後まで読んでくださりありがとうございました!
(੭*ˊᵕˋ)੭ᵗʱᵃᵑᵏᵧₒᵤ❥
